2021/11/29

あの頃はみんな夫婦でやってた。今ほとんど一人でしょ。木村屋酒店|弁天通り商店街|街かどの立ち話

ハラハラと落ち葉舞い散る季節。いよいよ今年も終わりに近づいてきました。今年も商店街のお歳暮の抽選がもうすぐ始まります。各店の景品を集めてビラを作ったり引換券を送付したり、そういった作業を何かと担う商店街の会長、木村屋酒店。

子供の頃、遊びに行った友達のうちのリビングで、おばさんとおじさんに出会して、「まぁ、大きくなったねー今いくつ(背)?、そー、それじゃ、なんかやってるのスポーツ?」たわいない会話に、時折うちの子ネタを差し込んで笑い飛ばしたりするんだけど、そこにチラッと親心が見えたり、そんな和やかなで暖かな時間。

こういう絶大な安心感を醸し出すのはお母さんの存在が大きい。隣にいるお父さんは最初は腕組みなんかしてドスーンと見えてたのに、だんだん主ではなくむしろ従なんだと気付かされ、そのしなやかな柔軟性にサラリーマンの悲喜こもごもを感じたり、何かと学ばされる二人の絶妙なバランス。

話を戻すと、今では数少ない昔の商店街の様子を知っているのが木村屋酒店のおじさんとおばさんです。記憶をひもときながら、あの頃の感覚を思い起こしながら、ちょっとした新しい発見もあった話。

 

弁天ストアーって言ってね、肉や魚や八百屋なんかが全部入ってた。

 

そんなにレジャーがなかったから、近所で金魚すくいやると人がわーと集まった。 

 

 

(昔の商店街の様子ってどんなだったんですか。)
(木村屋の奥さん)昭和40年ぐらいね。んー、でーうちの下の子が幼稚園の頃、だってここえさ、線路はわせて汽車みたいのだったり、あの文化センターの反対側のあそこで、盆踊り大会やったり、結構いろんなことやったの。
(そうらしいですね。なんか商店街の街灯のところにスピーカーがついてて)
(木村屋の奥さん)そうそう。夕方になると音楽流したり、そしたら住人からうるさいって苦情が来て、結局ダメになっちゃた。
(なんかウグイス嬢みたいな人がいて各お店の特売品を放送してたみたいな)
(木村屋の奥さん)そうそう。それをやりながら音楽を流してた。結局ダメになっちゃた。
で、あのツツジ祭りの時は商店街で焼きそば焼いたりしてた。ボランティアでね。それをよくやっててくれたのが、やおたけさんのお母さん。今いないけどね。で、それに手伝いに出てた。今はやってない、今は息子さんが一人でやってるけど、それはおっきい所に卸す、お店ではやってない。
 
(中略)
 
(木村屋の旦那さん)結構だって、今の4、5倍あったでしょ。で結構また、ちょうどいいぐらいの年齢の人がいて。動ける人がいてなかなかでしたよ。
(どんなお店があったんですか)
(木村屋の旦那さん)生鮮三品全部あった。だってあのー弁天ストアーっての、マーケット見たいのがあって。そこに肉や魚や八百屋全部入ってたの、あの真ん中あたり。だからそこの、ここ登ってたところにSさんているんだけど、今おばあちゃんが一人で、今旦那さんは亡くなっちゃたけど、その人が八百屋さん。
 
(中略)
 
(木村屋の旦那さん)だってこうゆうのあったでしょ。ほら、売り出しのあったでしょ。つけんの。全部やったんだもん。あの、梯子持ってきて。人がいっぱいいたから。ちょうどいい連中がいたから。

 

 

昔の店と人。いろんなお店があってなんでもあった。あの頃が一番面白かったよな。 


 

 

(これ昭和50年ぐらいかー。子どもがすごい数ですね。)
(木村屋の奥さん)子ども祭りっていて山車をひいて、氷川さまのお祭りの時にね。
(木村屋の旦那さん)これはどこ、氷川神社のお祭りの時の弁天通りそうそう。
(木村屋の奥さん)そこ練り歩いたって。
(木村屋の旦那さん)で、池田米屋さんのところが神酒所になってる。
(木村屋の奥さん)昔は練り歩いたんだもんね。踊りの先生が来て。
(木村屋の旦那さん)そうそう。
(木村屋の奥さん)でそのために、あのオレンジの法被作ったんだから商店街で。知らない?
(木村屋の旦那さん)あったのよ。
(木村屋の奥さん)で、ここ何年か前には、ほら、くじ引きの時のオレンジの法被着て、当番が。で、今コロナでくじ引き出来なくなっちゃたから。うちに法被しまってあるよみんな、七、八枚。
(木村屋の旦那さん)だからあのー、引っ込んじゃたっていうより、そういうのもいいかなと思って、たまたま石黒さんとこ持てなくなっちゃったから、回ったら、いやーもー法被あるよーって言うから、ちょこっといいー、みんな着るんだけどーって言って。

 

 

新しいお店。インド料理屋はまた違うインド人。もう3代目じゃない。

 
 
(木村屋の旦那さん)
ちょうど、ここずーと行って、右側にたんぽぽさんっていうクリーニング屋があるでしょ。あと新日本建設。その前ビルじゃない。あそこずーと空き地だったのよ。数年。そこで盆踊りやったんだから。舞台作って。したらたまたま、あの来たの建てに。どこの車だって親父見に行ったら、親父も免許云々じゃね、あん時携帯も何にもないからすっ飛んでて、誰か小川ちゃんかな、「おーい、息子、順一さ、車動かしてくれよ」俺、いいっすよって行ったら、とんでないトラックなのよ、こんなの俺乗ったことねよ。「大丈夫だよちょっと行きゃいいだから、あそこまで」そしたら「早くー」って、どうやってやんだよ。えれー、あぶな。汗流してやった記憶ありますよ。多分新日本関係の人だと思うのよ舞台作ったの。石ころゴロゴロあったんで、みんなで舞台の周りだけは石どうかそうって言って危ないから。石ころ拾ってなんかやってた記憶あるな。そういうのやったのよ。
今、百分の1だね。なんだよオイラがやってるの。並んだって10人ぐらいだもんな。逆に考えると、そんなに子どもでも大人もそんなレジャー無かったんだよね。他にね。スマホがあるわじゃなし、んー、そー、テレビだってそんなあれもないし。どっか出かけるったて、何にもない、何にもないってことないけど。で、たまたま近所でこういう、氷やったり、金魚掬いやったりすると、やっぱわーと来るんだろね。だからもーしょうがないよね。今回郵送するしかないもんね。ガラポンできるわけじゃなしさ。なんかこー無いかなと思うんだけども、まあどの程度出来るかね。あとは人手だよね。
(木村屋の奥さん)ただ、この頃はみんな夫婦でやってたの。だからお父さんが出てても店番がいる。んー、今ほとんどひとりじゃないですか。
(木村屋の旦那さん)きついよね。店空けれない。
(木村屋の奥さん)ね。難しいよね。

 

 

木村屋酒店
東京都練馬区練馬2丁目19−5 
営業時間9ー21
定休日火曜
03-3992-6745 
https://sites.google.com/hnmk.org/kimuraya

 

 

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