2021/08/27

街角の立ち話/近所の直売所

頭上に厚く茂った桜の葉のおかげで真夏のジリジリした日差しが遮られた川沿いの遊歩道を歩いているとセミの声が盛大に聞こえた。しばらく歩いていると橋がありその横にお地蔵さんがあってお供え物の草花や赤や緑の缶に穴を開けて糸で吊るし、風でクルクル回る風鈴のようなものがぶら下がっている。どれもまだ新しく定期的に掃除やお供えをする人が近所にいるようだった。

 

 

しばらくそれらを眺めてから視線を右に向けると、橋を越えた左手の道路沿いに夏空のようなスカイブルーのトタン屋根の小屋が見えた。中にはいくつかのダンボール箱と緑や黄色のプラスチックのバスケットが奥に積み上げられていて、手前に少しだがみずみずしい赤や緑をしたトマトやきゅうりなどの夏野菜が並んだ農家の直売所だ。
右側の庭先の奥に小さな赤いトラクターと白い軽トラックが留めてあり、土がついたかごが無造作に置いてある。その後ろに杉板の外壁に大きな瓦屋根の家が見える。まるで農家の日常がそのまま庭先に置いてあるようだ。

 

 

角材とベニヤとトタンを貼り付けて作られた農具小屋のような直売所は、左半分は収穫物を並べる二段の木棚があり、右半分には長椅子と小さな机と扇風機が置いてあった。木棚の一段目にはししとう、トマト、枝豆、じゃがいもが並ぶ。見た目は大きさも形も色も不揃いでスーパーに並んでいるような綺麗に揃ったものじゃない。でもそのはっきりしない色や形がほげ〜っとしてなんとも自然体だ。
しかし不揃いな野菜が流通しずらいわけを次の瞬間に知った。一皿ごとに形や色がまちまちなトマトが同じ値段で2個と3個と4個盛られていてどれを選ぶか一瞬考えさせられる。

 

 

するとそんなボクを見ていたのか「夏野菜はもう終わりなの」と言って右側の休憩所の椅子に座っていたおばあちゃんが立ち上がって来た。「え、まだ7月なのにですか?」とボクは言った。
おばあちゃんの話によると、ここから道路沿いに100メートルくらい行ったとこに畑があって、夏野菜が採れるあいだは毎日朝8時に畑に行ってもぎたてを採ってきて、それを袋詰して10時に直売所に並べるのが日課になっていた。
午前中は直売所の椅子に座って店番しながら野菜を買いに立ち寄るお客さんや顔見知りのご近所さんと立ち話したりしているようだった。話している間にも何度か顔見知りのお客さんが通りすがりに声を掛けたり、立ち寄ってトマトを買ったりしていた。

 

 

「次は10月の葉物。ブロッコリーや白菜や大根あと小松菜や人参とか。少し雨が降った後で種をまくの。そうしないと芽が出ない、少し湿り気がないと」視線は何かを思い出すように遠くを見つめていた。日焼けした顔の眼に日差しが反射し一点の眩い光を放っているようだった。しかし同時に眼の奥深くに光を飲み込んでいった。
声は少し高いが言葉の間が落ち着きと静けさを作り出していて、どこか懐かしい響きの曲を聞いているようだった。それはレコードのあたたかく滑らかで自然な音の感触と似ていた。
なにかしながら曲を聞き流すことが多いデジタル音源と違い、曲としっかり向き合って音楽をじっくり聴く姿勢をレコードは取り戻してくれる。話し方や言葉は飾りけがなく自然体でいて不思議とどこか吸い込まれるものがある気がした。まるでそれは身体に浸透していく音の響きのようだった。