2021/07/31

街角の立ち話/江戸前の天廣

梅雨明けの公式な宣言はまだ出ていなかったが、夏の初めの太陽が真上からギラギラと降り注ぐ午後一時半。駅前から豊島園通りに抜ける通りを曲がり坂を下ったところに、藍色の地に白抜きで「天麩羅」と白の縁に赤い文字で「江戸前」と書いた暖簾がかかる。その横の壁に黒地の木材に「天廣」と彫られた小さな看板。

 

 

入り口から中の様子は見えない。こじんまりした店だから客席は数席だろう。そう思うと少し気後れするが、そーっと引き戸を開ける。白木のカウンターに5席。カウンター奥の壁に貼られた魚介類のお品書きに並んで東京都中央卸売市場の休開市日カレンダーと業者の電話番号のメモが貼ってある。

 

 

 

 

ランチは天丼と天ぷら定食の2つだけで定食を頼むと、最初に出てきたのは黄金色の衣にふわっとごま油が香る帆立。衣のなかの帆立は半生状態。油のなかで衣の水分が脱水して油と入れ代わり固まる。一方食材は衣でコーティングされ中で蒸されている状態だから水分が出ている間は油分は入ってこない。だからサクサクの衣に油の旨味と帆立の旨味が口の中で凝縮されるというわけだ。
こうした天ぷらは家ではなかなか口にできない。そういえばさっき店主が揚げながら「下町の江戸っ子にとって天ぷらは家じゃなくて外で食べるも
のなんですよ」と言っていた。

 

 

 

 

お祭りで神輿を担ぐ時に着る首元がY字に開いて身幅のゆったりした白のダボシャツを素肌の上から着て腕まくりしている。色白な肌と切れ長な目に独特な美意識と力強さがある。オヤジさんと呼ぶのにぴったりな粋な雰囲気だ。
語り口は頑固だが実直な職人気質が察せられる。「江戸前の天ぷらは本来、東京湾でとれた魚介を使うものです。でも春は北海道猿払の帆立と琵琶湖の稚鮎がいい。その時の旬の食材で一番おいしい産地のものを築地に仕入れに行きます」とオヤジさんはきっぱりした口調で言った。

 

 

 

天ぷらを揚げながらオヤジさんの話は食材から江戸っ子の暮らしのあれこれまで拡がっていく。それは料理の背景に食文化としてのマナーやしきたりがあることを教えてくれる。

「料理に含まれる様々な食の情報が立体的なグラデーションになって現れるものを瞬間的かつ正確に読み取って人は料理を判断している。食べ物に対する判断力は人間を見る目、ものの良し悪しの区別、本物と偽物を見分ける力、想像力を養う根幹になる」と料理家の土井善晴が書いているのを読んだことが思い浮かぶ。単に美味しいか不味いじゃないものがある。

 

食を通して思考すると見えてくる日常。読みやすいので楽しく読めます。

 

もう一歩踏み込んで言えば美味しさは手段であって目的ではないのかもしれない。個人でやっているお店はそういうことを身近に教えてくれる場所でもある。昔からの店は少なくっているし、このコロナ禍で人知れず閉店する店も数多い。

出会っていない知られざる価値が身近に眠っています。いつも通り過ぎるだけの通りになんか独特な匂いのする店があったらちょっと立ち寄ってみるときっとおもしろい発見があると思います。