2023/05/07
ワークスタイルディギング 対人援助職の専門職性 第3回
学び続ける教員像
教師の働く状況は、2000年代からベテラン層の大量退職によって、若手教員の増加とともに初任期におけるメンタルヘルスの悪化と離職の増加の問題が生じました。*それ以降、教師の成長に影響を及ぼすさまざまな教師教育政策が打ち出されます。しかし結果としては長時間労働と教師不足が顕在化しています。そうした中、2015年「チームとしての学校」 の構想が打ち出されました。チーム学校は学校の新たな性格を示すとともに,教師の働き方や仕事の転換を示唆しています。(注8)
*これからの学校における教員の「役割」について 芹澤2021
これからの教師像について、2012年の中央教育審議会答申で教員を高度専門職と位置づけ「学び続ける教員像」の理念の確立と実現を示しています。その文書の複数箇所で省察という言葉が使われています。つまり教師の専門性として学ぶことが強調されています。学び続ける教員像は、新しい教師モデルとして教師の専門性の実践の中核に反省的実践家を位置付けました。**
**前掲 芹澤2021
反省的実践家について浅田氏はこう述べています。***
「それは熟練教師が有する知識や能力を教師の専門性の基準とするということではなく、教師自身が自らの授業実践から学び、新しい知識や能力を獲得していくこと、その結果として熟練教師が有するような知識や能力を獲得するということである。」
これつまり、リフレクションです。教師の自己研鑽や職能発達プログラムにおいてリフレクションが中核として位置づけれらえるようになります。
***教師の学習と成長 浅田他 2021 ミネルヴァ書房
ここで追加しておきたいのは、教師の質をめぐる世界の動向についてです。個々人の教師の教育実践の質から学校教育の質に移っていると今泉氏は指摘し、新し教師の質の捉え方を三つのレベルに分けた上で、二つの質向上モデルを示しています。一つは従来の教師個人モデル、もうひとつは学校教育改善モデル。これは教師が役割行動を通じて授業や学校教育上の諸問題を同僚と協働して解決していくことによって、教師の認識や価値観、行動を変化させる結果として生じる教師の質の向上のモデルです。
さらに、共通課題を解決するために協働するチームではなく、多様な自律した学びが繰り広げられている開かれた公共空間として佐藤学氏が提唱する学びの共同体があります。(注9)
リフレクションのあらまし
リフレクションとは、日本語で省察、振り返り、反省、内省の意味です。
教師教育においてリフレクションが注目されるようになったのは、アメリカの哲学者であるドナルド・ショーンが技術的熟達者から反省的実践家に専門家モデルを転換したことがきっかけとされます。反省的実践家モデルとは、実践を行う当事者自らが、現実から問題状況を設定し、そうした状況と関わる中で新たな知を生み出し解決していくという考え方です。
この反省的実践家が知を生み出すための鍵概念として、ショーンはリフレクションを提案します。反省的実践家は教師や看護師を中心に広く支持され、現場の実践者が有する知や学びに関心が向けれるようになります。ショーンが反省的実践家を提唱してから30年以上が経過しましたが、教師教育においてリフレクションは現在も支持され続けているそうです。
ただ実際には、一口にリフレクションといえるほど簡単じゃないようです。
たとえば、教師を対象にした調査によれば、経験年数の多い教師群になるにつれて、児童の視線や表情に注目していた一方で、教職経験の少ない教師群は児童の姿勢に注目する傾向が見られました。別の研究では、初任者教師は問題状況を点で捉えて授業を改善しているのに対し、ベテラン教師は線で捉えて授業の改善点を考えていました。二つに共通する初任者教師とベテラン教師との違いは、授業認知の情報源です。さらに状況の読み取りも異なっていました。ほんの一時点の認知を手がかりにリフレクションすることで、本質的な問題構造を十分に捉えきれないまま自身の行為や見方を変えてしまう、こうした認知の違いがついてまわります。(注10)
玉ねぎの皮
コルトハーヘンらはコア・リフレクションを提唱しリフレクションそのものの段階性及び順序性を指摘しました。リフレクションの階層を6 つに分けた玉葱モデルでは、玉ねぎの外側の皮から中心までのように、環境、行動、能力という外的要因から考え方、自己認識、存在使命という内的要因までに分けて、双方の要因との往還を通して、伸長していくことを示しました。彼らはこの内的要因としての省察を コア・リフレクションと呼んでいます。玉葱モデルにおける内的要因の階層の最も中核となす部分を「その人自身の核となる資質」コア・クオリティと言い、コア・リフレクションは、人の長所や強みとするその人自身を形成する核という所までについて振り返ることと定義しています。****
****教員養成段階における教師教育の展望 茂野2017
独善に陥ることなく
ここまで深くなってくると、やはり運用面でリフレクションに対する解釈に混乱があることが指摘されます。たとえば、ショーンの主張を過去の振り返りに還元し、授業でうまくいった点や改善を要する点を教師に回顧させる活動をリフレクションとして単純化することが挙げられます。これは過去の実践を吟味して最適な授業方法を考えるというリフレクションの見方です。(ここでは触れてませんが、ショーンはリフレクションを3つに分けて、行為の中の知、行為の中の省察、行為についての省察と定義しています。(注11))
また、教師が自らの実践のリフレクションを独善に陥ることなく行うとともに、他者からの視点や他者のリフレクションとの比較から客観的に行えるようになっていく必要が指摘されます。*****
さらに、このプロセスを一人の教師が辿ることができるためには少なくとも板書の仕方、発問指示の仕方、あるいは授業場面においてどのような状況を認知するのかという授業に関する知識、指導に関するスキルに習熟していることが求められます。*****
*****教師の学習と成長 浅田他 2021 ミネルヴァ書房
深く柔らかな部分と偏り
ここまでザックリと、コンピテンシーとリフレクションを見てきました。二つに共通しているのは、特性、動因、自己認識、考え方、使命といった言葉が指すような人間の深く柔らかな部分を含む全体的な能力を絶えず評価している点です。もう一つは、そうした特徴ゆえの結果として独善に陥りやすい。なおかつ、広く多くに当てはまるというよりも特定の要求に応えるという偏りを内包している点だと思います。
もっと言えば、人格的要素を取り込んだ今、その境界線は明確ではなくなっています。つまり、資質・能力の何を目標としどこまでを評価対象とするのか。****** そうした事態によって個人の根幹と専門職性を同一視するほどに問題はセンシティブで著しく人を消耗させる。だからこそ、他者との関係性に着目する意味が実践的にあります。このことの裏付けとしてケアリングに触れたいと思います。
******前掲松下2016
ケアリングは個人的な性質や特性に依拠するのではなく、人と人との関係において生起することを重視します。(注12)
教育哲学者のネル・ノディングズは教えることの中核にはケアリングがあると言っています。*******また看護分野でも看護の本質はケアリングと言います。ケアリング概念は、複数領域で用いられ、教育学、生命倫理学、発達心理学においても用いられて定義は様々です。********
次に看護師とケアリングを軽く掘りたいと思います。
*******ポスト・モダン時代における“相互作用的専門職” としての教職教師の専門職性におけるケアリングと情動的次元の探究 木村2011
********ケアリングの概説 筒井2018
注8 チーム学校は,学校の新たな 性格を示すとともに,教員の働き方や仕事の転換を示唆している。「チーム学校」を実現するための視点と改善方策として,「⑴専門性に基づくチー ム体制の構築」,「⑵学校マネジメント機能の強化」,「⑶ 教職員一人一人が力を発揮できる環境の整備」を掲げている。これまでの教員の「役割」は,「あるべき教員」の姿からつくられてきたところある。社会の変容と学校の改革の中で,その役割も問い直していかなければならないと指摘している。これからの学校における教員の「役割」について ─学校内外の協働関係構築における課題に注目して─芹澤ほか2022
注9 こうした教師教育の捉え方の相違は、教師の専門性として何を求めるかということにも違いをもたらす。教師個人モデルでは一定水準以上の知識、技術体系が基本となるのに対し、学校教育改善モデルでは知識技術体系というよりも、教育実践を通じて子どもだけでなく他のさまざまな人々と交流し合う中で新たな知識技術を生み出し、獲得する方法を常に高めていくことが専門性の中核となってくると指摘する。
佐藤学が提唱する学びの共同体は、チームが共通の課題の解決を目的としたプロジェクト型のチームが編成され協働を行うのに対して、学びの共同体はあくまでも共同体であってチームではない。そこは多様な自律した学びが繰り広げられている開かれた公共空間。このチームとの決定的な違いを学びという共通の課題をおくことで主体的な協働の場に読み替えたものが学びの共同体論である。
この協働のスタイルを共存モデルと呼び、ディスカッションを通して合意を生み出す同僚性よりも、異なる意見が絶えず平行線において交流され行動において連携しあいながら改革を推進する。
注10 中村浅田2017は小学校社会科の授業動画から100枚の写真スライドを抽出し1枚につき3秒で次のスライドに切り替わるフォトムービーを作成し、教師に事前に指導案を確認した上で、スライドを見ながら重要な場面に感じたスライド番号をメモし、スライドのどこに注目したか、なぜ重要だと考えたのかを記入する調査をした。教師は教職経験年数ごとに初任者教師1-4年未満、若手4-9年、経験10年以上に分類した。結果は経験年数の多い教師群になるにつれて、児童の視線や表情に注目していた。一方で教職経験の少ない教師群は児童の姿勢に注目する傾向が見られた。
注11 ショーンの主要な三つのリフレクション概念の定義には、行為の中の知、行為の中の省察、行為についての省察がある。まず、行為の中の知とは、日常の習慣的行為の遂行によって表出される知と定義することができる。次に行為の中の省察とは、習慣的行為が予期せぬ結果をもたらして時に自身の行為枠組みに意識的になりながら知を再構成するプロセスと定義されている。そして、行為についての省察とは、行為の中の省察とは対照的に状況を既に過ぎ去ったものとして捉え、新たな行為を試さずに自身の行為や見方を回顧する。ショーンはこれを行為についての省察と呼び、行為の中の知または行為の中の省察で展開されたプロセスについて振り返ることと定義している。
注12 ケアリングとは人間関係における在り方であり、他者に対する受容的な応答的な在り方を意味する。ケアリングには個人的な優しさや思いやりは確かに必要だが、その本質は単なる美徳や個人特性ではない観点で捉えることが重要である。つまりケアリングは個人的な性質や特性に依拠するのではんなく、人と人との関係において生起することを重視しているのである。ケアリングと教えること 前川幸子